Sting



ドサッ・・・・

ひどく重々しい音を立てて、目の前が真紅に染まる。

否、真紅というほど美しい色ではない。

陰気などす黒さを秘めた赤。

エースは濡れた申し訳程度の仮面を拭って、地面に転がる死体を無感動に見下ろした。

たった今まで生きていた『もの』。

それをユリウスの手下である影達が滑るような動きで取り囲んで。

―― 残ったのは、壊れた時計が2つ。

一つは名残に真紅の染みを地面に残した先ほどの死体だったもの。

そしてもう一つは。

―― 『彼女は俺のものだ!『誰か』にしないでくれ!奪わないでくれっ!!』 ――

とうに壊れた時計を握りしめていた男の声がふと、過ぎった。

「ばか、だよね。」

ぽつりと零れた言葉は、内容とも状況ともそぐわないほど軽く明るく聞こえた。

仮面の下から見える濃茶の瞳は笑みを浮かべているようにさえ見える。

けれど、エースは繰り返す。

「ばかだよなあ。」

今ここに、生きている人間が居たならばすぐさまエースの正気を疑ったか、逃げ出したかのどちらかだろう。

それほどにエースの言葉は見かけの響きと中身がそぐわなかった。

そう、もはや生を終え感情も人格もないはずの影達でさえ訝るように動いたほどに、その言葉は ――。

かちん、と音を立ててエースはきちんと剣を鞘に収めた。

そして無造作に地面に転がった時計に近づくとそれを拾い上げる。

手の上に残った2つの時計。

寄り添うように自分の手の中にある時計に、エースは薄く笑った。

(この世界の者ならわかってるはずなのにさ。俺たちは誰かの『代わり』。そして俺たちの『代わり』もいくらでも居て、唯一一人になんてなれないって。)

―― ああ、でも

            ・・・・モシモ『カノジョ』ガダレカノ『カワリ』ニナッタラ ――

ガシャッ!

無表情にエースは手の中にあった時計を握り潰した。

壊れた時計の硝子が手に食い込んだが、それも煩わしいように辛うじて原型をとどめている時計を影達に向かって放る。

「任務完了ってユリウスに伝えておいてもらえるかな。」

返事は待たない。

時計を放ったのと同じ無造作さで言葉を投げてエースは惨劇の場面に背を向けた。
















もしも、モシモ・・・・

ハートの城への(とおぼしき)道を歩きながらエースは血に汚れたローブを脱ぎ捨て、仮面を放った。

商売道具とも言える二つだが別段なくなっても構わないと思っての行為だが、不思議な事に大概この二つは時計塔に戻っている。

おそらくユリウスが影でも使って回収させているのだろうと、深く考えたことはない。

とにかく即席の装束を脱ぎ捨てて、ハートの城の警備隊長の姿に戻ったエースはただ歩く。

・・・・モシモ、もしも

頭の中で語りかけてくる何かを無視するように、表面上だけは笑顔を貼り付けて。

・・・・・もしも、『彼女』が誰かの代わりにされると奪われそうになったなら。

「・・・・ならない。」

頭の中で繰り返される問いにエースは答えていた。

(『彼女』は、余所者だ。)

ふっと、過ぎったのはスカイブルーのエプロンドレスの少女。

ある日突然降って湧いたように現れた余所者。

可哀想で、可愛くて、愛しい愛しい ―― アリス。

余所者であるアリスは時計がなくても存在できる人だ。

頭ではわかっているし、理解もしている。

・・・・けれど、アリスを愛おしいと思うようになってしまったから、「もしも」と問う声が聞こえる。

ユリウスの指令に従って時計を隠し持っている住人からそれを奪うたびに。

もしも、と。

もしも、『彼女』が誰かの代わりにされると奪われそうになったなら、と。

(・・・・・もしも、『彼女』が誰かの代わりにされると奪われそうになったなら?)

「―― 殺すに決まってるじゃないか。」

アリスを奪われるなんて考えられない。

アリスを奪おうとする者が現れるなら、片っ端から殺してもいい。

その中にアリスを幸せに出来る奴がいるかもしれないなど、考えるまでもない。

たとえ、そう ―― 彼女が死んでからでも。

「・・・・っち」

舌打ちをしたエースの顔に苛立ちの表情が浮かぶ。

(あーあ、影のどいつかに城まで連れてってもらえばよかったかな。)

早く、アリスに会いたいと思った。

早く会って、彼女の心臓の音を聞いて ―― 彼女は死んでも誰かのものにも、誰の代わりにもならないと確かめたかった。

けれど、エースの方向感覚を持ってすれば、ここがどんなにハートの城の近くであろうとも10時間帯ぐらいは軽くかかってしまうだろう。

「・・・・あーあ。こういう時に限って誰の刺客も来ないんだよなあ。今なら気晴らしに凄く手間をかけてあげるのに。」

遊び相手が来なくて残念、とでも言うかのような軽い口調でありながら忌々しそうな色を感じさせる呟きをエースが零した、その時。















「なに、物騒な事言ってるのよ。」















唐突に耳を打った声に、エースは振り返った。

その視線を受け止めた少女は逆に驚いたように目を丸くしている。

「アリス?」

「なんでそんなきょとんとした顔してるの?」

「え?」

「だって、気づいてたんじゃなかったの?」

そうアリスに言われて、はじめてエースは自分がアリスの気配に気がついていなかった事に気がついた。

ただ会いたいを思ったその本人の気配に気がついていなかった。

それほど、アリスに会いたいを思っていたのか、それともそれほど彼女の気配に馴染んでしまったのか。

どちらにしても。

「・・・・・・・ははっ」

「?何?」

急に可笑しそうに笑ったエースを訝しんだのか・・・・アリスは一歩離れた。

「あれ?なんで離れちゃうの?ここは『大丈夫』って近づいて来てくれるところでしょ?」

「いや、なんだか嫌な予感するし・・・・」

「へー?嫌な予感するんだ。」

きゅっと口角を上げるエースに、アリスはさらに一歩離れようとして。

「わっ!?」

次の瞬間、エースに引っ張られるようにして草原に転がっていた。

「な、何するの!?」

「んー・・・・」

一応クッション代わりにアリスの下敷きになったエースは、ジタバタするアリスを抱きしめる。

柔らかい茶色の髪に顔を埋めるようにすれば、びくっとアリスが震えて。

―― トクン、トクン・・・・と心臓の音がする。

「ちょっ!エース!?」

「ごめん、ちょっとだけ黙ってて?」

「は?・・んっ!」

盛大に文句を言い出しそうだったアリスの後頭部を引き寄せて、強引に唇を塞げば服ごしにも鼓動が伝わる。

それはエースを安心させ、そして狂わせていく。

アリスは死んでしまえば誰のものにも誰の代わりにもならない。

けれど、『もしも』を想像できるようになってしまった。

ふいに、アリスがエースの頬に触れた。

「?」

「どうしたの?」

「え?」

「珍しく、酷い顔してる。」

「・・・・・・・・・・・・」

エースはそれには言葉を返さずアリスを抱き寄せた。

―― トクン、トクン・・・・

「アリス」

「なに」

顔を見ようと動いた彼女を抱きしめて止める。

不満そうにしながらも大人しくなるアリスを、愛しいと思ってしまった。

誰にも渡したくないと思ってしまった。

「アリス」

抱きしめて鼓動を感じて、死んだらそれで終わりなのだと確認して安心する。

それほどに。

「好きだよ」

















―― それが矛盾と恐怖を呼ぶ感情であっても

























                                              〜 END 〜
   










― あとがき ―
ENDと打った途端、ものすごい疲労困憊ぶりで後書きも書かずにスティックに放り込んだという代物。
時計塔でのエースイベントを全部起こした後に、エースの舞踏会イベントを再度見て思いついたネタでした。
狂気と正気の狭間にいる男・・・・ものすごい書きにくかったです(- -;)
エースファンの皆様、偽物でごめんなさい(汗)